ここ30年くらいかけてアメリカの坐禅カルチャーのネクストウェーブとして定着。近年ではグーグルの社員10人に1人も実践してたり。アメリカの学校や刑務所のカリキュラムにも組み込まれているとか。巷で噂のマインドフルネス。
それが今年は日本に逆輸入(欧米に坐禅を布教したのは日本人)され、NHKスペシャル「キラーストレス」やEテレ サイエンスZERO「新・瞑想法 “マインドフルネス”で脳を改善!」などでも特集され、来週は遂にためしてガッテンでも〝瞑想特集〟。と、もはや流行語大賞候補にノミネートされるんでないかという盛り上りをみせるマインドフルネス(主観)。
そういう世間の空気も相まってか。私もそろそろ坐禅と向き合わなければと、丁度思っていまして。そもそも曹洞宗の僧侶となった以上、その開祖道元禅師が生涯を捧げた〝坐禅〟とは、如何なるものか。いつかはしっかり向き合わなければ、僧侶として半人前のまま死んでいくことになる・・・。と常々後ろめたさを感じていたので、この今の潮流は俄然追い風。この波に乗り遅れたらもう一生坐れる気がしない(日和見)。
という焦燥感から昨日、小野隆見(札幌同級僧)が「遊民!瞑想しようぜ!一緒にマインドフルネスしようぜ!」と三年くらい前から再三大絶賛の山下良道老師の瞑想会行ってきました。@名古屋MySOUL8(東区泉)。
久々のミッチリ坐禅(90分)だったので、かなり精神的にまいっちゃいました(本末転倒)。で、質疑応答タイムに老師から「曹洞宗の僧侶(僕と弟のみ)の方ですか?何か質問ありませんか?」と問われ、思わず「後半は眠気との戦いで本当に窮屈でした。眠気とはどう付き合うべきですか?」と言ったら周囲から微かに笑い声が漏れ、老師からも「もっと頭のいい質問しろよ。ボケ」とは言われませんでしたが暗に諭されました。要するに「眠気(睡眠欲)なんかに惑わされてるうちは話にもならん、喝だ!喝!」ということを懇切丁寧に解説頂きました。
その際には当然、目は醒め、眠気を克服しなければと強く思ったわけですが。帰宅して顧みればいつものザマ。・・・そんなこといったって永平寺でも總持寺でも坐禅中、読経中居眠りして罰を受け続け、寺坊に戻ってからは運転中、読書中、振り返れば中学時代からずっと私の半生は眠気との戦い(本当にしょうもない)なので、このチョー悪い癖(眠気&雑念)を矯正するのは至難の業だと。すぐさま諦めモード。八方塞やでホンマに(言い訳すんなよボケ)。
まあ老師は、しっかりと〝なぜ坐るのか〟そういう理由とか意志をはっきりと頭にリアルにイメージして坐れるようになればベストといった趣旨のことを言っていたと思うので、現在の私の進行方向(頭で瞑想する意義を理解しようと読書)としては悪くないような気がしていますが。如何せん、この重度の依存症というチョー悪い癖からの更正は今のところ非常に難儀です。
という訳で。老師はよく名古屋に来るみたいですが、とりあえず多賀宗恵パイセンのお寺(昭和区)に参禅して慣らしをして、蒟蒻問答できるようになったら改めて老師の元へ。そんな日を夢見て正身端坐あるのみ。と口で言うのは容易いけれども・・・眠。
まったく禅定、悟り、涅槃(ニルヴァーナ)、解脱、フロウ、ゾーン、そんな仏教的理想の心境をいつかは体感してみたいもんですが。毎日の鍛錬を怠るようじゃ絶対無理かな~といつも通り悪い癖炸裂(もうホント甘えすぎ)。っていうか、そもそも先祖供養仏教の仕事で忙しく趣味も怠らず婚活もして、更に坐禅もしようなんて、テメーは欲張りすぎなんだよ!と思いますが、どうなんでしょうね。「何かを得るためには何かを失わなければならない」だからどれか捨てなければならないとしたら、うーん、坐禅かな。
山下良道老師、素敵な時間を有難うございました~!合掌!
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