「もう早く死にたい」親父が、くも膜下出血の後遺症で小室哲哉さんの妻ケーコさんと同じ高次脳機能障害(軽度)になり、私生活でワガママな言動が増えてから、その世話に疲れたときの母の口癖です。
私も自分の人生に息詰ると「死んだ方が楽だな~」と思うことがあります。
私たちは、なぜ死にたくなるのでしょう。それは生きているのが辛いから。または面倒、だから時折 生きることをやめたくなります。と、そうはいっても本当に途中でやめるわけにはいかないので、みんな何とか生きています。
私たちは、自分の思い通りにならないことが重り、鬱憤(ストレス)が溜まると愚痴や弱音を吐かずにはいられません。これは私たち人間の癖です。決して自分がダメな人間だからではなく。程度の差はあれ、誰だって、不安もあれば、イライラもします。みんな一緒です。私たちは、このモヤモヤをどうすればよいのか。今日は私の心の中にいるお釈迦様(以下仏)に尋ねてみます。
遊民(以下遊)「母親がもう早く死にたいと言います。どうすればいいでしょう?」
仏「人生は幸せで楽しいことばかりではない。人生とは苦である。例えば、年老いて身体と頭が不自由になる苦。病気になる苦。欲しいものが手に入らない苦。夢が叶わない苦。嫌いな人と会う苦。人生とは、そんな自分の思い通りにならない苦の連続である」
遊「その人生苦、どうすればいいでしょう」
仏「そういう思い通りにならない苦の状況や、自分の思いに振り回されない自分になればいい。つまり、君の母親でいえば、父親に振り回されなければ問題解決」
遊「ど、どうやって?」
仏「まず母親は、なぜ死にたいのか。父親の世話をするが、父親がワガママをする。これが母親の思い通りにならない苦。だから世話をしているとストレスが溜まる。それが頂点に達すると、死にたいと弱音を吐く。つまりストレスが溜まらなければ、死にたいと弱音を吐かずに済む。そのためにはどうすればよいか。父親が自分勝手な行動を慎めばよいが、いい大人、ましてや障害をもつ六五歳男性にそんなことができるだろうか。無理である。この人間の癖というか、傾向性を変えるのはとても難しい。アル中や麻薬中毒の人が通院したり、太った人がライザップに頼るように、まずは本人の意思が伴わなければ話にならない。だが、障害が原因で父親にその意思はない。となると自動的に意思のある母親が変わるしかない。ストレスを溜めないために母親にできること。例えば父親の世話をやめる。これができれば母親は楽になる」
遊「そんな無茶な。世話焼きの優しい母は、困っている父を放っておけません。世話をやめるなんて無理です」
仏「では、死にたいと思いながら世話をするしかない」
遊「そんなセッショウな!」
仏「人生は苦であり思い通りにならないことだらけ」
遊「それが生きるってことなのでしょうか」
仏「君はどうしたいんだ」
遊「母に死にたいと言ってほしくありません」
仏「じゃあ君が父親の世話をすればいい」
遊「忙しいから無理です」
仏「それなら諦めて母親が死にたいと思いながら父親の世話をするしかない」
遊「・・・」
仏「父親の世話も代われないし、母親に死にたいとも言って欲しくない。それは君、ワガママじゃないか。それじゃあ父親と一緒だ。君の苦しみの原因は、その欲張りな心だ。潔く諦めなさい」
遊「なんでも諦めず頑張れと学校で教わったので、諦められません」
仏「諦めるというのはギブアップすることではない。明らかにみるということだ。君の悩みと両親の状況を、今明らかにみた。それで母親の死にたい気持ちを消すのは無理だとわかった。どうして無理だとわかったのに、どうにかしようとする?時間の無駄。それは、でないパチンコの台にお金を突っ込んで借金する人と何も変わらない。明らかにみて無理だとわかったのだから、諦めて別の方法を考えなければ、君は永遠に無駄に苦しみ、人生を浪費するだけ。君の苦しみの原因は、父親にあるのではない。君のその欲張りな心にこそある」
□自分の癖に気づく修行
遊「私の望みが無理ゲー(その苛酷な条件、設定の為クリアが非常に困難なゲームに対して言われる言葉)だとわかりました。しかし、だからといって簡単に諦められません。やはり母親に死にたいと言って欲しくない。でも私も父親の世話を代われない。ダメなのはこの欲張りな心。わかっちゃいるけどやめられない。だから苦しむ。この堂々巡り…。なんだか僕まで死にたくなってきました」
仏「人生は苦であり思い通りにならないことだらけ。怠らず修行しなさい。一般的に修行というと、厳しい永平寺で坐禅をしたり、山奥で滝にうたれたり、一日五〇キロ以上走る千日回峰行をイメージする。しかし、修行はそれだけではない。人間とはどんな生物か学ぶこと。そしてその傾向を知ること。それができたら、その傾向と自分自身を照らし合わせ自分の癖を知る。これも仏の修行。君は修行をして自分の心を明らかにみて、欲張りな心に気づいた。これは修行の賜物。喜ばしいこと」
遊「欲張りな心と気づいただけで修行?でも結局欲張りな心がやめられないまま生きる。それがなぜ修行?いやそれが苦しいと僕は言っていて、何も解決していない」
仏「欲張りな心に振り回されて、先の人生が本当に死ぬまで苦しくならないための予防措置に坐禅やマインドフルネス、瞑想の実践修行がある。そんなに苦しいのなら、一度母親と共に坐禅でもしたらどうだ?そこで、その欲張りな心と今一度向き合い、明らめ、いかに付き合うのがよいか考えるとよい」
遊「大変そう・・・」
仏「人生は苦であり思い通りにならないことだらけ。怠らず修行しなさい」
遊「人生が修行だと覚悟して、死にたいまま苦しくても生きていけってことか。泣」
□骨折り損のくたびれ儲け
遊「お母さん、お釈迦様から助言をもらったよ。坐禅をすれば死にたい気分が落ち着くかも。一緒に坐禅をしよう」
母「いや私は、TⅤで世界の果てまでイッテQ!を見て笑ったり、趣味の裁縫をしたり、インターネットで同じ境遇の友達と愚痴を言い合ってストレスを発散している。だから、坐禅しなくても大丈夫」
遊「ええ!」
母「真剣に考えてくれたのに、ごめんね。そこまで深刻じゃないの。だって一か月に一度くらいでしょ?私が死にたいなんて言うの。残りの二九日間は生きたいと思って生きてる。というよりも、そんなこと考える暇もなく日々家事・掃除・お寺の仕事で精一杯」
遊「せっかくお釈迦様に相談したのに…」
母「いやまあでも有難う。あなたのその心意気だけで気分が晴れるわ。死にたい日が一か月に十五日超えたら、お釈迦様に相談して坐禅する。あとこれからは、死にたいって言うのは 諦めるわ」
□死にたい まま 生きることを諦める。続く?
---------------------------------
このお話は、脳の病気の後遺症で高次脳機能障害になった親を介護する方を励ましたい思いで書きました(2018年 曹流寺 お檀家様へのお盆のお便り)。深刻風な題名と書き出しですが、書き終えたらコメディ説法になったので、その方を励ますことができているかは微妙…。
---------------------------------
---------------------------------
推敲に素晴らしいアドヴァイスをくれた友人僧侶!
0 件のコメント:
コメントを投稿